バスがまだ木炭を燃料として走っていた頃、鬼塚道男(おにづかみちお)車掌が、自らの身を犠牲にして、多くの乗客の命を救いました。長崎バスでは、鬼塚車掌のこの行動を後世に残すべく地蔵尊を建立し、以来毎年法要を行っております。
今年はコロナウイルスの感染拡大防止のため、参列者を減らして9月1日に法要を行いました。
1947年の9月1日、瀬戸営業所勤務の鬼塚車掌は、大瀬戸発長崎行きのバスに乗務し、満員に近い客を乗せて時津町元村郷打坂を上っていました。当時この坂は急勾配の坂として知られており、片側には崖が控えている場所でした。
峠の頂上まであと少し、というところで突然、ブレーキが利かなくなり、車体は後退。鬼塚車掌はバスを飛び降りて道脇の大きな石を車輪の下に入れ、後退を止めようとしました。しかし、勢いの付いたバスを止めることができなかったため、鬼塚車掌はとっさに後部車輪の下に飛び込み、自らの体を下敷きにしてバスの後退を止め、乗客の命を救いました。
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