戦後間もなく、バスがまだ木炭を燃料として走っていた頃、当時21歳の鬼塚道男車掌は、西彼杵郡時津村(現在の時津町)打坂で、自らの身を犠牲にして多くの乗客の命を救いました。
長崎バスでは、鬼塚車掌の勇気ある行動を後世に残すべく地蔵尊を建立し、毎年法要を行っております。
本年9月2日も、嶋崎会長、森田社長をはじめ役員及び関係者が参列し、慰霊法要を執り行いました。
参列者は、読経が行われるなか地蔵尊に手を合わせ、さらなる運輸の安全向上を誓いました。
◇乗客の命を救った鬼塚車掌
1947年9月1日、瀬戸営業所勤務の鬼塚車掌は、30数人の乗客を乗せた大瀬戸発長崎行きのバスに乗務し、打坂を登っていました。
当時この坂は“地獄坂”と呼ばれる急勾配の坂として知られており、片側は10メートル以上の切り立った崖となっていました。
頂上まであと数メートルというところで、突然ブレーキがきかなくなり、バスが後退。鬼塚車掌はすかさず車内から飛び降り、道脇の大きな石を車輪の下に入れ、バスを止めようとしました。
しかし勢いのついたバスは止まりません。鬼塚車掌はとっさに後部車輪の下に飛び込み、自らの身体を輪留めにしました。
バスは間一髪のところで停止し、乗客の命は救われました。
鬼塚車掌は駆けつけた仲間によって病院に搬送されましたが、まもなく息を引き取りました。