戦後間もなく、バスがまだ木炭を燃料として走っていた頃、一人の男性車掌が自らの身を犠牲にして多くの乗客の命を救いました。長崎バスでは、車掌のこの行動を後世に伝えるべく毎年、慰霊法要を行っています。
71年前の1947年9月1日、30数人を乗せた長崎バスの木炭バスが、時津町元村郷打坂の峠の坂で突然、ブレーキがきかなくなり後退を始めました。この坂は急勾配の難所として知られており、片側は10メートル以上の高い崖となっていました。
バスに乗車していた当時21歳の鬼塚道男車掌は、車内から飛び降りて道脇の大きな石を車輪の下に入れ、後退を食い止めようとしました。しかし、勢いのついた車体を止めることは出来なかったため、鬼塚車掌はとっさに後部車輪の下に飛び込み、自らの体を下敷きにしてバスの後退を止め、乗客の命を救いました。
長崎バスでは、1974年に現場の時津町打坂に鬼塚車掌の尊い犠牲と勇気を称えるために地蔵尊を建立して、毎年、法要を行っています。
今年も多数の関係者が参列し、地蔵尊前で慰霊法要を行いました。
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