4月28日は長崎自動車株式会社の創立記念日です。
長崎自動車株式会社の誕生と、創業者である上野喜左衛門についてご紹介します。
昭和10年、鹿児島の事業家である上野喜左衛門のもとに、雲仙小浜自動車の身売り話が持ち込まれました。
当時33歳の若さで南国モーターズをはじめとする多くの会社を経営する一方で、貴族院議員を務めるなど、さっそうと活躍していた上野。
身売り話に大変な興味を示した上野は、赤字の原因となっていた鉄道部門を除いて、雲仙小浜自動車バス3路線と同社所有の土地(雲仙小地獄)約36万坪を買収し、翌年に始まる、長崎市への本格的進出の拠点としました。
上野の具体的な事業構想は、「日華連絡船の発着港でもある長崎市を起点に、陸の孤島と呼ばれた北の西彼杵半島、南に延びる野母半島に路線を拡大すれば、バスを長崎県南の道路交通の主役にする事が出来る」というものでした。
こうして昭和11年4月28日、長崎~茂木間で競合していた崎陽自動車商会と、金子自動車商会を買収し、新会社「長崎茂木乗合自動車株式会社」を設立しました。
これが「長崎バス」の呼び名で親しまれる長崎自動車株式会社の始まりであり、ささやかな一歩を歩み始めた記念すべき日です。
長崎茂木乗合自動車株式会社は同年8月15日、社名を「長崎自動車株式会社」に改称しました。
長崎バスグループは、これからも人と人、街と街を結ぶ企業として、長崎のくらしを支え、社会の繁栄に貢献してまいります。