昭和22年9月1日、当時21歳の鬼塚道男(おにづかみちお)車掌は、西彼杵郡時津村(現在の時津町)打坂で、乗客の生命を救おうとして殉職しました。
長崎バスでは、昭和49年に現場の時津町打坂に鬼塚車掌の尊い犠牲と勇気を称えるために地蔵尊を建立して、毎年、法要を行っており、今年も多数の関係者が参列しました。
瀬戸営業所勤務の鬼塚車掌は、大瀬戸発長崎行の木炭バスに乗務、満員に近い客を乗せ、打坂を上りました。当時の打坂は急こう配で片側は深い崖がひかえ、運転者仲間に“地獄坂”と恐れられていた坂でした。
ところが峠の頂上まであと少しというところで、突然、ブレーキがきかなくなり、バスは後退。鬼塚車掌はすぐにバスを飛び降り、道わきの大きな石を車輪の下に入れたが、バスは石をはねのけてしまいました。鬼塚車掌はとっさに後部車輪の下に飛び込み、自らの体を輪止めにしてバスの後退を止め、乗客の命を救いました。
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